ひらののトピックス/2008年1月 緊急特集! 祝!国の無形民俗文化財に選定されちゃったよ記念!!
今からでも間に合う! 現代平野の基礎知識 08makidas(マキダス)〜「御田植神事」(杭全神社)編〜
  桜舞い散る毎年4月13日の麗らかな午後、杭全神社(平野宮町)では「御田植神事」が執り行われています。
神社の拝殿を田に見立て、800有余年の歴史を誇る猿楽を基調とした一年の豊作を願う伝統神事。
かつて、平野郷の有力者である末吉家が主催して奉納した祭りであり、その起こりについては
「鎌倉時代の建久元年(1190年)に杭全神社の証誠殿を祀るきっかけとなった熊野権現の像と共に翁の面があり、その口に稲籾を含んでいるのを不思議に思っていたところ、夢に老翁が現れて“人を選んで田に植えよ”とお告げがあったので猿楽の家である古春増五郎忠勝という者が選ばれ、神面を付けて翁舞を舞ったのが始まり」
と郷土史家で平野の町づくりを考える会会員の村田隆志さん。
江戸時代の頃は旧暦の1月13日子の刻、午後11時〜午前零時過ぎにかけて行われていたのだとか。
当時は現在と違い、神社の拝殿の前に専用の舞台を設営して行い、神事は2部構成でありました。
古春家が舞う前半部分と末吉家が舞う後半部分とで「御田植神事」だったのだそうです。
時代の変化と共に古春家が離脱、その後、存続も危ぶまれたそうですが、現在では末吉家から受け継ぐ形で「平野の町づくりを考える会」が中心となって発足した「御田植神事保存会」の会員によって後半部分の翁舞を奉納する形で伝承されています。
「地域の人々に“あーえん”と呼ばれ親しまれてきた祭りの伝統と精神を変わらず受け継いでゆこう!という合言葉の下で後世へと伝え続けたて行けたら」と保存会の会員のお一人が話してくれました。
さあ、兎にも角にも来るべく4月13日に向け「御田植神事 in 杭全神社」を今一度“予習・復習”っちゅう事で要CHECK IT OUT!!
 大正時代の御田植神事の様子
  この時は拝殿前に設けられた特別ステージで行われていた。
写真提供:平野の町づくりを考える会「写真で見る大阪平野今昔 おもろいで平野」より

※かつてシテ(翁)が田を耕す所作の際に「ヤァーエイッ」と鍬を振り上げて下ろす時、観衆が発した掛け声。
言わばライブのコール&レスポンスの様なもの。
演じ手と観衆が一体となってとても盛り上がったそうである。
御田植神事

1:まずはお着替えから(笑)

2:本番直前、シテ役の翁と台詞をかけ合う“地方”(じかた)達が最後の音あわせ(読み合わせ)

3:舞台となる拝殿へ向かい、宮司さんが社殿にて始まりの儀式を執り行います。

4:シテ役へのお祓いが済んで…

5:翁の面をつけたらいざ本番!

6:オープニング〜畦切りのシーンへ。

7:かつてこの場面で“あーえん”とコール&レスポンスが行われていたらしい…。

8:牛による田鋤き

9:田均し〜畝つくり〜水口つくりのシーンへ。

10-1:籾種まき
「福の種を蒔こうよぉ〜」と繰り返しながら実際に籾を蒔く。

10-2:かつてはこの蒔かれた稲籾の早苗を植えれば豊作になると信じられており、近郊の農民が大勢来て蒔かれる稲籾を争って拾ったという。
現在では神事終了後に観衆が“お守り”として持ち帰っています。

11:翁に呼ばれた太郎坊・次郎坊(人形)が早乙女2名とともに登場し、次郎坊を翁へ手渡す。

12:杭全神社独特の所作・演技となる次郎坊に飯を食べさせるシーン。
   13:そして極めつけは…放尿!(Oh!マイガッ!!)
これには神様が田んぼに肥料をあげるという意味があるといわれています。
因みにこの所作の際、観衆に向かって“小便をかける”仕種をするのもお約束。
この時ばかりはオーディエンスから何とも言えないどよめきが(笑)

14:再度太郎坊が次郎坊を背たろうて…

15:早乙女とともに松葉を苗とみなして田植えを行い、神事は終了!

16:最後は皆で記念写真!!
11〜14以外の所作はどの神社でも同じようで、各地域によってはこのような風変わりな演技が色々加わるそうです。
因みに事前の全体練習は本番と同じように杭全神社の拝殿にてたったの1回こっきり行われるのみ!
面や道具は文化財保護の観点から2004年よりレプリカが使用されています。

現在使用されているレプリカの鍬

数年前まで実際に使われていた翁面(江戸期)

現在使われているレプリカの翁面
  鋤持ちの半被
これは明治期から伝わるものだそうで、クンクン嗅ぐと…“昔の匂い”がします(笑)

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